肥沃
肥沃
最近、「肥沃」という言葉について、ふと考えることがありました。
それは単に土が豊かであることではなく、もっと広く、深い意味を持っているのではないかと感じたのです。
うちの畑の一角、すももの木の下あたりは、雑草や枯れた植物を捨てる堆肥の置き場所になっています。コンポストというほどではなく、ただ堆肥を積み重ねているだけです。
その場所の土はとても状態が良く、植えてもいないかぼちゃが生えてきたり、いろいろな植物の成長が安定していて、土壌のバランスが整っているように感じられます。
BBCに『ワイルドアイルズ 〜壮観なイギリス諸島〜』というドキュメンタリーがあります。(Amazonプライムで見られます。)そのエピソード2の後半では、菌類、つまりキノコについての説明がありました。
キノコの「見えている部分」は、胞子を飛ばすためにあります。しかし地中には、根のような役割をもつ菌糸が広がっていて、それが木の根やさまざまな植物の根とつながり、ネットワークをつくっています。その菌糸ネットワークによって、植物や木々のあいだで、水や養分、ミネラルがやりとりされているのです。
まるで会話をするかのように、木々や植物はメッセージを送り合います。たとえば、ある植物の葉が虫にかじられると、周囲の植物が信号を受け取り、虫の嫌う味に変化する。そんな連携が起きるそうです。
それはまるで、人間が困っているときに誰かに相談したり、気持ちをわかってもらったりして、回復していく過程のようにも思えます。
ところで、この間、ChatGPTというAIをつくったサム・アルトマン氏が、ポッドキャストで語っていました。次のバージョン「ChatGPT5」では、専門家でさえAIに敵わなくなるだろうと。そして彼自身もまた、あまりに高度な知性を持つAIと話すうちに、「GPTはもう、ほとんどの面で僕たちより賢い」と感じ、無力感を口にしていました。自分がとうとう追い越されたと実感したとき、彼は人類の未来について、どこか憂えているようにも見えました。
私たちは言語をつくり、さまざまな観念を分けてきました。本来は境界のない世界に線を引き、「ここからが自分」「これはきれい」「これはきたない」と区切ってきたのです。
でも、本当の豊かさは、きたないものときれいなものが混ざり合い、朽ちて、また新しいものへと変わっていく中にある。
私はそれを、「肥沃」と呼びたいと考えたりしました。
人の心もまた、すぐに「きれい」や「正しさ」で覆いたくなるものですが、迷いや弱さ、混乱さえも、混ざり合いながら変化し、やがてなにかを育んでいく。
そんな視点をもつことで、わたしたちの内側も、もっと「肥沃」になっていくのかもしれません。
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