そうあるもの
縁という言葉は、「よすが」と読む場合もありますね。今では「えん」と読むのが一般的ですが、昔の人は「よすが」と呼んでいた。その響きには、とても深いものを感じます。
人の気持ちの見られ方は、それぞれの時代やあり方によって変わります。社会が存在しているからこそ、人の心はその社会を映す鏡のようにもなる。もちろん、そうではない見方もあるでしょう。ただ、社会と心を重ねて眺めてみると、やはりその時代ごとに違った姿が見えてきます。
自分が自分をどのように見ているか。自分をどんな存在として意識しているか。それもその社会における自分の場所によって変わるのだと思います。人との関わりをどう呼ぶかも、国や時代によってさまざまです。
私自身にとって心地よいあり方とは、いまこの瞬間を大切にできて、ありのままに「そうあるもの」であれることです。けれども、人はそれぞれに違う在り方を持っていて、それはそれで良いのだと思います。
すべては経験です。良いことも、良くないことも、経験になります。停滞すれば動きたくなり、動き続ければ止まりたくなる。暑ければ寒さを望み、寒ければ温かさを思い浮かべるものです。
つらいときは、ただ話を聞いてもらえれば、それだけで安心できる。その安心があれば、また話したいと思える。そうして再び出会えたなら、それは一期一会の大切な瞬間になります。
縁を「よすが」と読んだ、昔の人の感性には、本当に驚かされますね。
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