動的な安定

社会にいるそれぞれの人々は、それぞれの役割を持っています。例えばある場所で、ある人はとても優しい。そしてある人はとても厳しい。こういう人々があるバランスを持って、チームのようになって社会構造を作っているとき、一人が抜けると全体のバランスが崩れます。

個人も同じ。自分とはこういう存在だと思っている存在意義が揺らぐような出来事が起こる事によって、バランスを崩します。

社会も個人も、「バランスの上に成り立っている構造体」だと捉えると、そのどこかひとつが揺らいだときに、全体の安定性が影響を受けるという見方ができます。

これを少しまとめて考察してみたいと思います。

◆ 社会のバランス:役割と構造

社会には、「優しい人」「厳しい人」「引っ張る人」「受け止める人」など、それぞれの立ち位置や“キャラ”があります。どれかが過剰になったり、欠けたりすると、自然と他の誰かがそのバランスを補おうとします。けれどもそもそもそのキャラクターや個性を持ち合わせていないタイプの人が、補う為に欠けた人のように振る舞うと、逆にバランスが崩れたりします。
まるで、張りつめたテントのロープが1本切れると、全体のテンションがずれてしまうように。

◆ 個人のバランス:アイデンティティと揺らぎ

「私はこういう人間だ」という自我のバランスも同じ構造を持っています。例えば、
・優しい自分
・強くあろうとする自分
・頼られたい自分
いろいろな自分の像があるでしょう。ともかく『私』という存在を形作っている自己イメージです。

これらのバランスがうまく機能していれば、日々の中でその人は安定していられるけれど、ある出来事があってそれが壊れ、「強くある事ができなくなった」瞬間、「私は誰?」という感覚になってしまいます、それが、心のアンバランスとして現れることもあります。

◆ プログラム的にも同じ

パソコンのプログラムでも、たとえば1つの関数がうまく働かなくなっただけで、システム全体がバグることがあります。
社会や個人のバランスも同じで、すべてが連携しながら、動的に保たれているシステムなのです。

そして、自然環境も同じです。均衡が崩れてしまうほどにいろいろなエネルギーや開発を続けてしまった結果、現在のような自然の環境が崩れた世界になっています。

つまり、「バランス」は静的な状態ではなくて、常に変化しながら保たれている“動的な安定”なのです。

そこに「自分がいなくなる」と感じたり、「役割が失われた」とき、人は深く揺らぎます。

しかし、人間も社会も自然もAIやシステムだって、壊れたままではありません。ちゃんと回復します。

最近、とある出来事があって、私はとても不思議な感覚になりました。それで、上記のような事を考えたのですが、それは、その前に経験した出来事と構造がとても似ていました。

私が私であるということが、誰かにとってはこういう風に見える、ということが、別の誰かから見ると、いやそれは私から見ればこう見えるよ、という構造がその中で、打ち明けられて、私はこう思いました。

そうか、誰かは誰かの代わりにはならないんだな。
その人の存在は別の誰かが演じる事は出来ないんだな、と。

誰かの何かの言葉の解釈さえも、視点の違うそれぞれの人の中ではその前提が踏まえられて、全く違う視線になる。そうすると私の得た経験は別のかたちに書き換えられ、そこにあたらしい視点が生まれる。

これはとても面白い経験だったので、書いてみました。(^^)

投稿者プロフィール

水田 透
水田 透くれたけ心理相談室(高知支部)心理カウンセラー
相談者様の心にそっと寄り添い、少しでも軽くなるお手伝いができればと思っています。
心理カウンセラー 水田 透

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