なんでもない私
私たちは、どうしても「結果」で自分を判断してしまいます。
できた日には胸を張り、できなかった日には小さく縮こまってしまう。
まるで自分の価値が、成果ひとつで決まってしまうかのように。
けれど、本当はそうではありません。
結果を出せたときの私も、
何もできなかった日の私も、どちらも同じ「私」。
努力した日も、立ち止まった日も、
心が軽かった日も、どうしようもなく疲れた日も、
その全部がひとつの流れとなって、私という存在を作っています。
だからもう、
“うまくいく・いかない” に価値を預けなくていい。
人はいつも何かを背負って生きています。
外からは「何もしていないように見える日」でさえ、
心の中ではたくさんの選択や耐える力が育っていたりする。
結果が見えなくても、あなたはちゃんと生きているし、動いている。
そして、私は思うのです。
なんでもない私を、そのまま好きでいたい。
特別じゃないことを責めなくていい。
輝いていなくても、前に進めなくても、
ただここにいて、呼吸して、今日を終えるだけでいい。
私たちが向き合うべきなのは、
成果ではなく“存在そのもの”の価値。
その価値は、揺らぐことなく、誰にも奪われません。
どうかあなたも、
結果に振り回される日のなかでふっと思い出してほしい。
「なんでもない自分を、好きでいていいんだよ」と。
投稿者プロフィール

最新の記事
思考2025年12月7日新しく生まれてくる命に「ありがとう」と言える世界で
未分類2025年12月6日Threads を応援してくださっていた皆さまへ
未分類2025年12月5日なんでもない私
未分類2025年12月4日弱さと、意味のなさと、身体の重さ


