“普通の家族”に憧れていた私へ──傷ついた親子関係からの、静かな回復の話。①
“普通の家族”に憧れていた私へ──傷ついた親子関係からの、静かな回復の話。
子どもの頃、友達の家に遊びに行くたびに、胸がざわつくことがあった。
お母さんが「おかえり」と笑顔で出迎える場面。夕飯の時間に家族が自然と集まって、他愛ない話をしている食卓。何気ない、本当に何気ない光景なのに、なぜか自分には遠いものに感じられた。
「うちは、違う」
言葉にはしなかったけれど、そう思っていた。
家族なのに、安心できなかった…
あなたの家は、どんな家だっただろう。
機嫌が読めない親がいた、という人もいるかもしれない。いつも否定された、という人も。「親のくせに」と思いながら、逆に親の感情を支えていた、という人もいるかもしれない。
形はちがっても、共通しているのは——家の中に、安心できる場所がなかった、ということ。
本来、家は「帰る場所」のはずだ。
疲れたら休める、怖かったら守ってもらえる。そういう場所のはずなのに、むしろ家に帰るほうが緊張した、という人がいる。
それは、あなたがおかしいのではない。
家の中で安心を感じられなかった子どもが、大人になっても「安心」というものをうまく信じられないのは、当然のことなのだ。
「普通の家族」に憧れた罪悪感
不思議なことに、こういった経験を持つ人の多くは、親への複雑な感情を抱えている。
憎しみ、と言い切れるものではない。
愛されたかった、という気持ちが奥底にある。だから、恨むことへの罪悪感がある。
「親も、辛かったんだと思う」
「育ててもらったのは事実だから」
「うちよりひどい家はたくさんある」
そうやって、自分の傷をそっと押し込めてきた人は多い。
でも、少し立ち止まって聞いてほしい。
親が辛かったことと、あなたが傷ついたことは、両方同時に本当のことだ。
どちらかを消す必要はない。「親を責める」ことが目的なのではなく、「私は傷ついていた」とただ認めること
——それが、回復の始まりになる。
お読みいただきありがとうございます。
明日の投稿に続きます。
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